アールブリュット⇄キノグラース『蠢 画 SHUN GA』について

 辻 智彦

ぼくはドキュメンタリーキャメラマンだ。美術について門外漢のぼくが、なぜアールブリュットを題材とした映像を創ることになったのか。そして何を目論んでいるのか。


展示内容は障害を持つ7人の絵描きたちの、合わせて20枚の絵を4K キャメラで撮影し、4K ネイティブで仕上げ、4K プロジェクター4台で同時投影するという単純なもの。それぞれの絵はキャメラマンであるぼくが、己の直感と触覚と呼吸を頼りに近接しながら撮影した映像を通して、文字通り肉眼では見たことのない恐るべき巨大で精細な、蠢(うごめ)くイメージの連なりとなって顕れる。そこでは昨今のアールブリュットという言葉にまつわる「障害者の描いた緻密で上手な絵」という既成概念は全く無意味になるだろう。驚きと意味からの解放に満ちた展示空間全体で、見る人に人間精神の内奥に広がる驚異の世界を存分に旅してもらうのが狙いだ。


日本ではおもに障害者アートとして認知されているアールブリュットだが、元来はフランスの美術家ジャン・デュビュッフェが1945 年に提唱した定義「作者の衝動のみにつき動かされ、まったく純粋で生の作者によって、あらゆる局面の全体において新たな価値を見いだされた芸術活動」に基づいた「加工されていない、生(き)のままの芸術」という意味のフランス語だ。それは世界大戦直後の荒れ果てた人間世界を恢復させる「希望の芸術原理」としてデュビュッフェ自身が求めていたものでもあったという。彼が障害者や美術教育を受けていない人間たちの手による、魂の叫びそのものともいうべき表現活動“Art Brut” に託したのはどんな希いだったのだろうか。


ぼくは今回、自身の仕事であるドキュメンタリーの方法を用いて、もう一つの現実を創造する能力を授かった彼らの絵を撮影した。そこにドキュメンタリーキャメラマンとしてのぼくの追い求めるビジョンが実現されるのではないかと直感したからだ。なぜか。


キャメラの前に立つ者が発する言葉の意味や、存在が持つ社会的意義ではなく、今ここにこうして彼(それ)が確かに在るという事実の厳粛さ。それをキャメラの眼で改めて記録し、意味解釈でがんじがらめにされたぼくたちの世界の本来の姿を改めて提示しなおし、この世界のイメージを絶えず刷新し続けること。それがドキュメンタリー映画の始祖であり、キノグラース(映画の眼)提唱者のジガ・ヴェルトフが発見し、一世紀をかけて先達たちが研ぎ澄ませてきたドキュメンタリー表現の原理だとぼくは思っている。そしてそんなナマのイメージがキャメラで捉えられたと感じる時、何とも言えない豊かな感覚がぼくの裡に充満する。アールブリュットとはまさにそれだった。ぼくがキャメラを通じて掴みたいと日々求め続けている感覚を、地下水脈として渾々と湛えているものだった。

だからぼくは“Art Brut”を更新する超越的な“ドキュメンタリー”を会場内に展開しようと思う。人間の生の営みから自然と湧き出す表現への渇望。その結晶体であるアールブリュットを映像ドキュメンタリーの方法で「蠢(うごめ)く画」にする。そこに立ち顕れる世界の新しいありようは、なによりもぼく自身が見たかった世界でもあるのだ。